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怒りがおさまらないときは、いったん、その場から飛び出して、ひとりになるといいよ。そこで、体から怒りのエネルギーが抜け出すように、深呼吸をくり返して。それから、自分の体にひたすら詫びよう。ごめんね。ものすごく不健康な状態にして・・・ごめんね。いちばんいやなことして・・・少し気分が落ち着いたら、二度と自分を見失わないように、これ以上、自分を傷つけないように、どういう態度をとるべきかを、必死になって考えよう。
そっと、自分に問いかけよう。「今回の体験から学べたことは何?」心にのしかかった後悔という重石を、少しずつ動かして、心の掃除をすれば、過去の体験が、未来の養分に変わっていくから。「すべてが、学ぶためのできごとだった」と思えるようになるまで、心の奥でくすぶっていた自責の念が、「貴重な体験ができてよかった」という、感謝の念に変わるまで、自分に何度も、同じことを問いかけよう。「今回の体験から学べたことは何?」
自信は、はじめからあったわけじゃなくて、自信があるような気になっていただけかもしれない。もし、そうだとしたら、そうなったわけを考えよう。心配なことがうまくいって、ちょっといい気になっていた?おだてられて調子にのって、ちょっと天狗になっていた?それに気づくことを、「自信をなくした」っていうんだよ。
人生に投げかけられた問題は、自分の課題だよ。逃げていると、何度も同じようなことが起こって、苦しみに追いかけられる。自分できちんと答えを出して、納得するまで、それは続く。だから、差し出された問題は、どうしても片づけるしかない。どんなに逃げ出したいと思っても、ここで踏ん張るしかないんだよ。「ようし、必ず答えを見つけ出す!」と腹をくくれば、力がわいてくるから。心の中にある”つらいこと”を”やりがいのあること”に換えて、一段ずつ、心の階段をのぼっていこう。
自分にいう。泣きたいときに泣けなかったら、どうにかなっちゃうところだった。涙がいっぱいこぼれてよかった・・・今日は涙が枯れ果てるまで、子どものように泣きじゃくろう。その時間を自分にプレゼントするよ。涙にいう。悲しみを洗い流してくれて、ありがとう。心の痛みがやわらいでいく・・・誰も恨まないですむように、いらないものを全部ぬぐい去ってきれいな心に戻してください・・・
ともすると人は、不運や不足ばかりにとらわれ、与えられている幸運、恵みを忘れがちである。それでは人生、苦しいばかり。感謝の心を忘れず、喜びをもって生きてゆきたい。
①書く 思ったことを忘れないように必ず書きます。②言う いつでも、誰にでも私の目標を話します。③誓う 誓うとは自分との約束だと思います。④祈る 私は両親の墓前で話をします。 栞には、「神にすがって信念を確立するのであり、祈るときすでに 成就したもの」とあります。
この4つの実行で、目標は実現すると思います。
戦後、世間一般の風潮として、社長の言うことだからといって、それがスッと聞かれるというわけにはいかなくなった。だから形の上では命令することがあっても、実質はお願いするという気持ちを心の内に持たなくては、社長の職責がつとまらなくなったわけである。 そういう心持になったなら、社員の人が仕事をしてくれれば「いや、どうもありがとう、ほんとうにごくろうさま、まあお茶でも一杯」ということにもなる。そういうことから、以前私は、社長は“お茶くみ業”だと考え、人にも話したことがある。もちろん実際にお茶くみをするわけではないが、そういう心持になることが大切ではないかということである。
成功に自信を深め、さらに意欲を燃やすのは大いに結構。しかし、好調なときにともすれば心がゆるみ、甘くなり、思わぬ失敗を起こしがちなのが人間である。成功におごらず酔いしれず、謙虚に足もとを見つめて歩みたい。成功の中にはすでに失敗の芽がきざしていることが多いのである。
いったん志を立てて事を始めた以上、少々うまくいかないからといって簡単にあきらめ、投げ出してしまってはいけない。時に失敗し、志をくじかれることがあっても、気を取り直してまた取り組み、辛抱強く、根気よく努力を重ねていく。そうしてこそはじめて物事はなし遂げられる。成功とは成功するまで続けることである。
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