人は死ぬと、21グラム軽くなるといいます。アメリカの学者が実験して量ったと聞いたことがあります。
よって、それが魂の重さだというのです。ということは、魂がどこかにあるということになります。
それはいったい、どこにあるのでしょうか。
私事で恐縮ですが、少し前に母を亡くしました。母は苦労人でした。母を知る者は、口を揃えて「不幸だった」と言います。
でも母は、「幸せだ」と口癖のように言っていました。
そんな母が、父の看病をしていて、先に亡くなってしまいました。過労からダウン。気づいたときには、手遅れでした。
それだけに、母の死は堪えました。そんな時、友人から一通りの便りが届きました。そこには、こんなことが書かれてありました。
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テレビで著名人の訃報を知った。その特集のVTRが流れた後のキャスターのコメントにハッとした。
「なんだ、みんな、全然死んでいないじゃないか」
そうなのだ。誰かが亡くなっても、周囲の人々の中にその人はちゃんと生き続けている。
それがあれば、その人は「生きている」ということになる。
私の父は私が35歳の時に他界した。このときまでは、私がちょっと間違ったことをしでかすと、口うるさく言う困った父親だった。
私はいかに親の目を盗んで悪さをするか、そればかり考えていた。
ところが、死んでしまうと違うのである。生きている間は、「目を盗む」ことができるのだが、死んでしまうと、私がどこへ行こうと、
誰と会おうと父はいつだって、私の肩の上にいるのだ。
だから、隠しようがない。よって私は父の死以降、すっかり品行方正になってしまった。そのおかげで、何とか今日まで生きてこられた。
また、父が他界したときにある人から、
「人によっては、人は死んだら星になるのだけど、いつも天空から見守っていてくれて、
万が一のときとか、迷ったときとかには道を誤らないようなアドバイスをくれる存在になるのだよ」
と教えてもらったことがある。この人は子供の頃に父親を亡くした人だが、そのように信じることで辛い時期を乗り越えてきたのだろう。
この言葉は、わたしにとっても大変だ支えになった。
私の母は今でも壮健であり、私には母を失う痛みは分からない。男は、父親よりも母親を失ったときのショックが大きいという話を聞いたことがある。
また、戦場で死に行く戦士が「お父さん!」と叫ばず、「お母さん!」と言って散っていくのは無理からぬことだと、自分の息子を見ながら思う。
息子にとって、とてつもなく母親は大きな存在なのだ。
だから、父の死と、一緒に語ることは出来ないが、もし私が君に何か伝えられるとしたら、父が死んで以降、私が日常の中で実感したことだけである。
たまたま出張中で、お通夜にも告別式にも参列できなかったから、今こうして伝えたい。
「あなとのお母さんはぜんぜん死んでいませんよ。まだ生きていらっしゃる。ほら、あなたの肩の上に。
そして、これから、ずっと。あなたが常に正しい方へ進むよう見守ってくれています」
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いくら看病・介護を十分にしたといいても、後悔は残ります。「ああしてやれば良かった」と。
でも、私の中に母はいます。生きているのです。妻が言います。
「お母さんは、私たちの心の中にいるよね」と、胸に手をやって。そう、母は見えないけれど話をすることができるのです。答えてもくれるのです。
「魂」とは、生き続けるものなのだということを知りました。そう、目に見えないものに価値がある。
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