「守破離」という言葉がある。
世阿弥の「花伝書」に書かれ、また武道などでも言われる、修業の姿を示す言葉である。
厳しく鍛えて基礎を完璧に自分のものにするのが「守」である。
その向こうに創造性が芽生える。「破」である。
そして自分のリズムで自在に動く境地がでてくる。それが「離」である。
これはそのまま「我流」の姿でもある、と言えるだろう。
「離」に至るのは至難の業である。
だが「守」がなければ「破」にも「離」にも至り得ないことを我々は知るべきである。
◎「節から芽が出る」人は望まないのに、苦しい状況や辛い目に遭うが、それは人生の節なのか。
そしてその節から新しい芽が生まれてくるのか――心の中に、一筋の光が灯ったような喜びと感動があった。
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