いまから十年前のこと、ちょうど第二電電を
始めにかかっておりましたときに、
京セラ人工骨問題が起こったんです。
そのときに悩んで悩んで、妙心寺派の
何代目かの管長になる資格を持った老師さんが
円空寺というところにおられて、
大変親しくさせていただいておりますので、
そこへ行って、
「老師、こういうことが起きてきて……」
と話しましたら、ケロッとして、
「それはあなたが生きているからですよ。
生きてているから、そういうことになる。
いいじゃありませんか」
という。
生きているからって、そんな人ごとみたいにいわれたって、
連日、新聞・雑誌で書かれて、身も心も置きどころが
ないように思っているのに、老師はケロッとして、
生きているからです、という。
ただ、そのときのその次の言葉に救われました。
「それはカルマがとける時なんですよ。
だから喜ばなければいけません。
あなたが背負っていたカルマ、業が、
その程度のことで消えるなら、ありがたいことじゃありませんか。
人間、どんな災難があるかもしれない。
その中で、その程度で終わるなら、ありがたいことです。
だから、災難を、災難と思って苦しむのか、
災難を、その災難によって
自分がしょってきた業が消えるんだと思えば、
赤飯炊いて喜ばなきゃならんことだ」
といわれて、救われました。
だから、私はそういう、本当に不幸に見舞われて、
身も心もないという人には、そういってあげるんですよ。
業が消えるんです、だから、
その程度のことだったらいいじゃないですか、と。
本当に偉い方っていうのは、一般に不幸と思うことを
いいほうへとっていらっしゃいますね。
これは本当に大事なことですね。
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