「天才の後を継いだ天才でない人物が、どうやって、天才が到達できなかった目標に達せたのか」 ジュリアス・シーザーが暗殺された後の国家ローマにパクス(平和)をもたらした人物は、どのように天才ジュリアス・シーザーでさえ成し得なかった国家政体を作り上げていったのか?今回の歴史に学ぶ経営手法は、帝政ローマの初代皇帝アウグストゥスです。
歴史に学ぶ経営の第3回「100年に一人の天才シーザー」では、ジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)をとりあげました。天才であった彼は現在のヨーロッパと北アフリカ、トルコを含む広大な領土であった国家ローマの内乱を収めて程なく、「ブルータス、お前もか」という言葉を残して暗殺されてしまいます。シーザーの遺言状が開かれたとき、そこに後継者に指名されていたのはオクタヴィアヌスというシーザーの遠い親戚の青年でした。当時18歳でしかなかなく、誰にも認知されていなかったこの青年は、ライバルであったアントニウスとクレオパトラの連合軍を破り、再度ローマを一つに束ねます。その後オクタヴィアヌスはアウグストゥス(尊厳なる者)という称号を送られ、後に初代皇帝と呼ばれることになるアウグストゥスが誕生したのです。しかしこれは彼にとってはスタートでしかありませんでした。シーザーが目指した新体制の確立、それこそがアウグストゥスの目標だったのです。
新体制の確立のためアウグストゥスがまず行ったのは、旧体制である共和制への復帰宣言でした。さらに、内戦時代に享受していたした特権を、すべて共和国とローマ市民の手に戻すと宣言したのでした。新体制である帝政への移行を考えているはずの彼が、なぜこのようなことをおこなったのか?そこには、共和制を指示する旧体制派の存在がありました。シーザーが旧体制派により暗殺されたことをかんがみ、回り道を選んだのです。
そして実際には、このとき放棄した特権とは内戦時の非常時の権利であり、すでに有名無実化しているものばかりでした。しかし共和制復帰宣言に驚喜する旧体制派は、平和が完全に回復するまで地方の防衛を依頼します。もともと自身が、本国イタリアを直接支配する官職に就いていたことに加え、地方の防衛のための指揮命令権を得たことで、正式な法的根拠の元に、ローマ全軍の一元管理を可能にしました。これがインペラトール(全軍の最高指令権)です。
しかし、いかに正式な法的根拠があるとはいえ、インペラトールでは軍隊のイメージが強調されてしまう。そこで、彼はプリンチェプス(市民の第一人者)という称号を好んで使用しました。プリンチェプスならば、旧体制派を刺激する心配はなかったからです。
その5年後、アウグストゥスは、本国の主席を辞任する代わりに、1年限りの護民官特権の取得を願い出ます。この“ささやかな願い”はやはり旧体制派に了承されます。この護民官特権は、制度開始から500年近くも存続してきた制度のため、ローマ市民には慣れ親しんだ制度でした。慣れ親しみすぎて、誰一人、この特権に新しい活用の仕方があるなど、考えもしませんでした。しかし、護民官特権には政策立案権に加え、拒否権が認められています。拒否権は現代の国連常任理事国が持つ拒否権と全く同じです。つまり、いかに過半数を得ようとも、拒否権が発動されれば、白紙にもどすことができるというものです。しかも、1年任期には、意義がなければ更新される、というさりげなくも重要な“ただし書き”が付けられているのでした。
アウグストゥスは、一度権力を返還し、旧体制派によって再び譲渡される、もしくは承認を得るという形式をとり、少しずつ権力に変えていったのです。「私は権威では他の人々の上にあったが、権力では、誰であれわたしの同僚であった者を越えることはなかった」彼はこのように記録を残しています。これを文面の通りに受け取ることもできますが、客観的に見れば、したたかに小さな権威を積み重ね、長い時間をかけながら大きな力を手中にしていった戦略がうかがえます。
わたしたちがコンサルティングの一環でお話をうかがうなか、「自社の強みが分からない」、「うちにはコア・コンピタンス(事業の核)がない」とおっしゃる経営者の方に、まま出くわします。このようなお話を聞くと“強み”や“コアコンピタンス”という言葉が独り歩きしているな、と感じるのですが、そう難しく考える必要はありません。
大切なのは『確かなものを一つずつ集める』ということです。それは御社の「信頼してついてきてくれる従業員」かもしれませんし、「経験に裏打ちされた技術やノウハウ」かもしれません。「経営者の健康」もそうでしょう。確かなものを一つずつ集めて力にする。これらは決算書には載りません。載りませんが、集めて力にすればかならず、その後の数字に跳ね返ってきます。
確かなものを一つずつ集め、新体制を既成事実化していったアウグストゥス。並みの出来の皇帝ならば、これではじめて羽を伸ばせると思い、豪華な宮殿の建設を手がけたりするところでしょうが、アウグストゥスはこの面でも私財の充実などにはまったく無関心あり、シーザーの正真正銘の後継者でした。
その後彼は長い年月をかけながら、内閣の創設、通貨改革、選挙改革、安全保障、軍縮、税制改革、少子化対策、食糧問題の解決、経済の活性化、富の格差の是正、金融対策!2000年後の現在も、社会が抱える問題というのはさしたる変わりがないことには若干の憂いが込み上げてきますが、アウグストゥスはこれらに次々と取り組み、時間をかけながら解決していきます。
76歳まで生きた、皇帝アウグストゥスですが、体はけして丈夫ではなかったようです。生まれつき消化器系が弱く、暑さや寒さも苦手。虚弱体質で、疲れればいつでもどこでも横になったといいます。彼は長生きをすることで新体制の基盤を確固たるものにすることが使命であると考えていたようです。新体制の樹立により目指したものは亡きシーザーと同じ「パクス・ロマーナ(ローマによる平和)」。そして、この想いは彼が生きている間に結実します。
死の少し前のアウグストゥスが、ナポリ湾の周遊中に立ち寄ったポッツォーリでの出来事です。
エジプト(当時のローマ領)のアレクサンドリアから着いたばかりの商船の乗客や船乗りたちが、近くに錨を下ろしている船の上で休んでいた老皇帝を目にしました。船上から人々はまるで合唱でもするかのように、声をそろえて皇帝に向かって叫びました。
「あなたのおかげです、われわれの生活が成り立つのも。
あなたのおかげです、私たちが安全に旅をできるのも。
あなたのおかげです、われわれが自由で平和に生きていけるのも。」
予期しなかった人々から捧げられたこの賛辞は、老いたアウグストゥスを心の底から幸せにしました。彼の指示で、そこにいた人々全員に、金貨40枚ずつが贈られました。ただし、金貨の使い道には条件がついており、エジプトの物産を購入して他の土地で売ること、その仕入資金とすることでした。老いてもなおアウグストゥスは、聡明な皇帝でした。物産が自由に流通してこそ、帝国全体の経済力も向上し生活水準も向上する、そしてそれを可能にするのが「平和(パクス)」なのであるという彼の精神が感じ取れるエピソードです。
今の時代、前(売上)だけをみて生きるには、あまりに「不確か」なことばかりです。まずは確かなものを一つずつ創っていくこと、そしてそれを集めて力に変えることが重要です。
少しだけ具体的な話をするならば、まずは売上に応じたコスト体質を持ちましょう。管理だけは絶好長の売上時のままというのは、現状に応じたコスト体質とは言いがたいです。逆にスリムで効率的なオペレーションが確立された組織は十分に御社の強みに成り得ます。もう一つ、今は手許資金を持っておいた方が良さそうですね。セーフティ・ネットの有効活用を検討されてはいかがでしょうか。
集めるべき御社の中の「確かなもの」、それが分かるのはもちろんあなたなのです!
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