あまりのひたむきさに神様が哀れに思い、
かわいそうだから注文をあげよう、と思われるくらい努力するしかない。
海外市場を開拓するため、稲盛は62年にアメリカへ、64年にヨーロッパへと、営業に出かける。
ところが一件も注文が取れない。
稲盛は「(日本で待っている)みんなに申し訳ない」と涙を溢れさせた。
そして、一緒にヨーロッパで営業していた者に「神様が哀れんでくれるくらいひたむきに努力しよう」と訴える。
その甲斐あって、その年の暮れに香港マイクロエレクトロニクス社、翌年にアメリカフェアチャイルド社から、まとまった注文が入るようになった。
「稲盛和夫のガキの自叙伝」より 日本経済新聞社
かわいそうだから注文をあげよう、と思われるくらい努力するしかない。
海外市場を開拓するため、稲盛は62年にアメリカへ、64年にヨーロッパへと、営業に出かける。
ところが一件も注文が取れない。
稲盛は「(日本で待っている)みんなに申し訳ない」と涙を溢れさせた。
そして、一緒にヨーロッパで営業していた者に「神様が哀れんでくれるくらいひたむきに努力しよう」と訴える。
その甲斐あって、その年の暮れに香港マイクロエレクトロニクス社、翌年にアメリカフェアチャイルド社から、まとまった注文が入るようになった。
「稲盛和夫のガキの自叙伝」より 日本経済新聞社
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