運命というのは、海の波と同じようなものではないか。
たしかに目で見るとピークがあり、ボトムもある。
しかし、ボトムといえどもエネルギーがないわけではない。
ピークとまったく同じエネルギーを保有する。
つまり、人生で次々に遭遇する出来事には「いい運命」も「悪い運命」もなく、宇宙はヒタヒタと同じだけのエネルギーを運んでくる。
それに私たちが、勝手に「いい」とか、「悪い」とかレッテルを貼っているにすぎないのだ。
病気になったときでも、「コンチクショー、何でこんな病気になったんだ!」と思えば、「悪い運命」だし、「おかげでこんな気づきが得られた」と思えば「いい運命」になる。
「運命を変えたい」という願望は、波のボトムを逃れて、ずーっとピークにとどまりたいということだ。
これは、はっきりいって無理な相談だ。
ピークだけの波は存在しない。
ピークとボトムでお互いにエネルギーを交換するからこそ、波ができ、進んでいくことができる。
つまり、ボトムをしっかりとしのぐことが、次のピークを迎える準備になるのだ。
ところが、人間というのは哀しい生き物である。
ピークのときはこれが永遠に続くと思い、自分は実力があるからこの状態が正常だと錯覚する。
ボトムのときは「こんなはずはない」、「何かがおかしい」ともがき、早くピークに戻らなければ、とあせる。
人生がおかしくなる、ひとつの典型的なパターンが、ボトムのときにあせりまくり、ジタバタして道をふみはずしてしまうことだ。
つまり、自分で「悪い運命」というレッテルを、あまりにも強固に張りつけるものだから、まさにそのレッテルどおりに自らを追い込んでしまう。
私たちが遭遇する出来事は、本当はどれも「宇宙のはからい」なのだ。
「悪い運命」というのは外からくるのではなく、本人の精神的な未熟さが、それを捏造(ねつぞう)してしまうのである。
人は、精神的な成長が進むと、ピークでも有頂天にならず、ボトムでもあせることなく、執着を手放し、淡々と生き、「宇宙のはからい」をそのまま受けとることができるようになる。
そういう人を「運力」がある、という。
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