良太郎は、お店でおすましをつくっていたそうです。
八三郎のレシピ通り忠実におすましをつくっていました。
しかし、何度忠実にレシピ通りにつくってもおじいさんの八三郎
の味を実現することはなかったそうです。
繰り返し、繰り返しつくっても本当の味がでなかったそうです。
良太郎は、くやしくてくやしくてしょうがなかった。自分の父親である
八三郎に聞くことをずっとためらっていた。しかしあるとき
「もうこれはダメだ」と思い、意を決して聴いたそうです。
「なんで親父(八三郎)と同じ味がでないんだろう?」
そのとき八三郎はこう言ったそうです。
「おまえは、目の前のお客さんにおいしいもの食ってもらおうと思って
つくっているか?」
良太郎は、忠実にレシピ通り味を再現することだけに注力していたため、
目の前のお客さんのことを考えておすましをつくってなかった。
親父(八三郎)の味を超えることだけに意識を向けていた。
その気持ちの方向性が味にでていた。心模様が味に表現されていた。
つくづく人間の心というのは、不思議だなと感じますね。
何に的を絞って行動しているのか、何を目的に表現しているのか。
そんなことを考えさせられる話です。そして駆け出しの頃に、そんな
気持ちの持ち方を八三郎から教わった良太郎は、
幸せな人だなと思う今日この頃です。
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