私が父を亡くしたのは、小学校へ入学したばかりの春でした。
オートバイで土手を走っていて、歩いている人をよけようとしてハンドルをあやまり、オートバイごと転げ落ちてしまいました。
お酒を飲んでいたのです。
そして不運にも相手の人をも巻き込んでしまったのです。
二人とも瀕死(ひんし)の重症を負い、打ち所が悪かった父は三日後に亡くなり、相手の方がなんとか助かったのだけがせめてもの救いでした。
一家の大黒柱を亡くした我が家は、幸せの絶頂から奈落(ならく)の底へと落ちてしまいました。
耳の不自由な祖母は、何かの役に立とうと腰を二つに折りながら畑仕事に精を出し、母は一家を支えるために早朝から夜遅くまで機(はた)を織(お)る。
そんなころ、毎年クリスマスになると、大きなケーキとプレゼントが届くのを楽しみに待っていたものでした。
その贈り主が、父が交通事故に遭(あ)わせてしまった人からだと知ったのは、何年もしてからでした。
自分も瀕死の重傷を負いながら、こんな形で見守ってくださっていたとは…。
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