ずいぶん昔、鹿児島をレンタカーで旅したときの話です。知らない土地ゆえ、妻と地図を睨めっこしながらのドライブでした。
特攻隊で知られる知覧を訪ねた際のことです。最寄のインターから降りて車を走らせたのですが、なかなか目的地に着きません。
細い田舎の道が続きます。道を間違えたのかなと思った矢先、ようやく町並みが見えてきました。半日、観光を楽しんで再び車に乗り込みました。
ところが、です。行きはあれほど遠く感じた道のりでしたが、インターにあっという間に着いてしまいました。妻と顔を合わせて
「狐につままれたみたいだね」
と言い合いました。間違いなく、行きも帰りも同じ道を通りました。なのに、帰りの方が半分以上短く感じられたのです。
よく、「楽しいことをしていると時間が経つのが早い」とか「授業がわからなくて、一時間が長い」と言います。
これと同じことだと気付きました。
行きは初めての道のりなので「間違えないか」という不安を抱いて走ります。反対に、帰りは見覚えのある景色なので、
安心してハンドルを握れます。この心理状態の違いが、行きと帰りの時間の長さを錯覚させたのです。
このとき以来、わが家では行きよりも帰りの方が短く感じられることを「帰り道の法則」と呼ぶようになりました。
どんなに貧富の差があっても、大人も子供も、男性も女性も、「時間だけは、すべての人に平等である」と言われています。
でも、この「帰り道の法則」をもってすると、平等ではないのかもしれません。
人生に前向きな人と、そうでない人。朗らかな人と、不安を抱えている人。心の持ち様によって、過ぎ行く時の感じ方は変わります。
時間は、時計を見れば計ることができます。でも本当の価値をこの目で見ることはできません。そう、目に見えないものに価値がある。
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