今回の歴史に学ぶ経営手法は「ミッドウェー海戦」を取り上げたいと思います。
ミッドウェー海戦は、連戦連勝を続けてきた日本軍側が始めて経験した挫折であり、太平洋をめぐる日米両軍の戦いにおけるターニング・ポイントとなった戦いです。アメリカ海軍の被害が、空母1隻だったのに対して、日本海軍は主力空母4隻と載せていた航空機のすべてを失いました。当時はまだミサイルがなく、航空機による爆弾の投下が主な攻撃という時代です。そのため、航空機を陸地の近くまで運ぶことができる空母が、戦闘の主戦力となるわけです。その主力空母を4隻を失ったという意味で、まさに「太平洋の戦局はこの一戦に決した」というべき戦いがミッドウェー海戦なのです。
太平洋戦争全体を後世から眺めれば、国力差のありすぎる国との戦争に臨んでしまったことがそもそもの敗因であると言われるのはその通りだと思います。しかし、ミッドウェー海戦に話を限れば戦力はむしろ日本軍が有利であったと言われています。
まずは、日本海軍の戦略思想から見ていきましょう。
日本海軍の戦略思想の中心は、短期決戦を原則とし、太平洋を越えて来航する米国戦艦を日本近海に邀撃(ようげき。意味は迎え撃つこと。)し、艦隊(船)決戦により一挙に撃滅しようとするものでした。そしてこのような一貫した基本方針をもとに、約30余年にわたり、日本海軍は作戦研究、兵力の整備、研究開発、戦艦編成、教育訓練などを行っていたのです。
このような大本営(中央司令部)の漸減邀撃作戦思想(漸減(ぜんげん)はしだいに減っていくこと。迎え撃ちながら、相手の兵力を削っていく作戦)に対して、現場の最高責任者である山本司令長官は積極的な作戦思想を持っていました。山本司令長官は、アメリカとの国力差から絶対に長期戦に引き込まれてはならないと考えていましたが、旧来の邀撃作戦では、その危険性を回避することはできないとみなしていました。
すなわち、攻撃の時期や場所を自主的に決めて来攻することができる優勢な敵に対して、劣勢なものが受身に立っては勝ち目がありません。劣勢な日本海軍が米国海軍に対して優位に立つには、多少の危険をおかしても、奇襲によって自主的に積極的な作成を行ない、その後も攻勢を持続し相手を守勢に追い込み、「米国海軍及び米国民をして救うべかざる程度にその士気を沮喪(そそう)せしめ」るほかない。これが山本の判断でした。大本営は、連合艦隊が立案した真珠湾奇襲作戦に対し、予想される危険性からさまざまな理由をつけてその承認を躊躇し、連合艦隊内部でも「ハワイ作戦」を中止すべきだという意見具申がないわけではありませんでした。いうまでもなく、このような山本司令長官の積極的な作戦構想は、長年にわたって日本海軍が踏襲してきた漸減邀撃の作戦方針を堅持している大本営とは相容れない点がありました。しかし、山本司令長官の強い意思によって最終的に軍司令部もこの作戦計画を取らざるをえなくなったのです。
冒頭で述べたように、対米開戦以降の日本海軍は連戦連勝という勢いで、ほぼ山本司令長官のシナリオどおりに進行しました。そして、次の段階の作戦として浮かび上がってきたのが、ミッドウェー攻略作戦でした。
この作戦は、ミッドウェーを攻略することによって米空母部隊を誘い出し、これを補足撃滅しようとするもので、現在の戦力から見て容易であると判断していたようです。
序盤の戦局は、日本軍が優勢でした。ミッドウェー島基地への攻撃を実施し、また、米軍基地からの来襲機の大半も撃墜し、アメリカ軍側の損害は極めて大きく第2次攻撃を断念せざるをえなかったほどでした。アメリカ軍のミッドウェー基地航空部隊は、日本軍海軍において最も広く用いられていた戦略上無用の「海軍暗号書D」の解読に成功していました。それによって日本軍の空母部隊の発見、接触に先んじたものの日本軍空母部隊に対する攻撃そのものには見るべき成果がなく、逆にきわめて大きな被害を受ける結果となりました。
これまでの戦いの勝利と幸先の良い戦況に慢心の日本軍は、このときアメリカ軍には空母なしという先入観にかられていました。しかしその後、アメリカ軍にも空母の配備があったのを発見します。発見時には距離210海里(1海里は1,852メートル)であり、これはすでに攻撃可能範囲内であったため、ただちに攻撃隊を出さなければならない状況となったのです。
時を同じくして、ミッドウェー島を攻撃した航空機が帰還が重なりました。米空母に対する攻撃隊の発進準備を急ぐために、それらの飛行機を甲板上に並べれば、ミッドウェー攻撃隊の着艦が遅れて、燃料不足で不時着水するものも出てくる。そうかといって、ミッドウェー攻撃隊を収容してから、米空母攻撃の準備をすれば、その発進は著しく遅れることになる。このようなジレンマに直面したのです。
下した決断は、ミッドウェー攻撃隊の残り燃料や被弾を考えて、まずこれを収容し、米空母に対する攻撃隊の兵力を整え十分な護衛戦闘機をつけた上で、一挙に空母部隊を攻撃するというものでした。
さらに指揮命令は錯綜します。指揮する南雲(なぐも)司令官は米空母なしと考えていたときには、航空機には地上基地破壊用の爆弾を装備させていましたが、米空母を発見したときには空母攻撃用の魚雷を装備させるための命令を出し、大きく時間を無駄使いしたと言われています。また、山口少将の陸上施設攻撃用の装備のままで直ちに敵空母戦力を攻撃すべきだという進言を退けたというのが、敗北の主因とされています。空母の甲板さえ破壊してしまえば、沈めることはできずとも、航空機を出せなくする、つまり無能力化することは十分可能でした。
この間にアメリカ軍は全機全力攻撃を果断に決定。序盤の戦闘でアメリカ軍の航空機の犠牲はきわめて大きく、特に魚雷を装備したものは全滅に近かったようですが、日本軍の意思決定が遅れている間に急降下爆撃を実施。日本軍は4隻中3隻の空母を失うこととなりました。その後、日本軍は残る1隻の空母で反撃にで、米空母1隻にダメージを与えるも、アメリカ軍の追撃により最後の1隻も炎上することとなりました。
海戦に敗れた要因の一つに日本軍の暗号が解読されていたことが上げられます。しかし、暗号解読によって日本側の作戦計画を知られていても、慎重な索敵と厳重な警戒、そして周到な奇襲対処策を講じ、適切な航空作戦指導を行っていたらならば、この要因は必ずしも致命的なマイナスとならかかっただろうと考えられています。なぜなら、米空母を誘い出すことが、作戦の一つになっており、その時の戦力を考えるとむしろ好ましい帰結にむすびつく可能性もあったからです。
では何に問題があったのか?諸要因ありますが、まずひとつに作戦目的(戦略)の二重性が挙げられます。
作戦の本来のねらいは、ミッドウェーの占領そのものではなく、同島の攻略によって米空母郡を誘い出し、これに対して主導的に航空決戦を強要し、一挙に補足撃滅しようとすることにありました。ところがこの米空母の誘い出し、撃滅する作戦の目的と構想を山本司令長官は空母艦隊の指揮官である南雲司令官に十分に理解・認識させる努力をしなかったようなのです。ここに、後世に至って作戦目的の二重性が批判される理由があります。南雲司令官に対しても、連合艦隊の幕僚人に対してすらも、十分な理解・認識に至らしめる努力はされませんでした。したがって、ミッドウェー攻略が主目的であるかのような形になってしまったのです。
有体(ありてい)に言ってしまえば、「コミュニケーション不足による、目的のあいまいさと指示の不徹底」ということになるでしょう。
日本軍の失敗のもうひとつの重大なポイントになったのは、不測の事態が発生したとき、それに瞬時に有効かつ適切に反応できなかったことです。
戦闘は錯誤の連続であり、より少なく誤りをおかしたほうにより好ましい帰結をもたらすといわれます。戦闘というゲームの参加プレーヤーは、次の時点で直面する状況を確信をもって予想することができません。相手がどのような行動に出るか、それに対してこちらが対応した行動がどのような帰結を双方にもたらすかを、確実に予測することはできないのです。
これは経営も同じです。何が良い結果をもたらし、何が悪い結果をもたらすか、そこに完璧な予測を立てることはできません。良かれと思って行ったことが、後に大きな災いをもたらすことは往々にして起こります。このような不確実な状況下では、ゲーム参加プレーヤーは連続的な錯誤に直面することになるのです。
戦闘は組織としての戦闘部隊の主体的意思である作戦目的(戦略)と、その逐行(組織過程)の競い合いに他なりません。戦場において不断の錯誤に直面する戦闘部隊は、そのようなコンティンジェンシー・プラン(損失を最小限にとどめるためにあらかじめ定める緊急避難措置および計画)を持っているかということと、ならびにその作戦逐行に際して当初の計画と実際のパフォーマンスとのギャップをどこまで小さくすることができるかということによって、成否が分かれます。作戦計画の立案とその達成過程において、どちらがより錯誤が少ないかということがポイントなのです。
日本軍は米空母郡の誘い出しを狙うことは、こちら側の所在を暴露してしまう可能性が高く、当然、逆奇襲を受ける公算があると予期しておかなければなりませんでした。ところが、初戦の勝利により驕慢(きょうまん)となっていたためかこの可能性を十分に顧慮しませんでしたし、南雲司令官は、米空母の出撃がミッドウェー攻略の後になるという先入観にとらわれていました。
ダメージ・コントロールの不備、つまり、いったん被弾した場合の艦内防御、防火対策、応急措置なども十分な考慮が払われていたとはいえないでしょう。空母の飛行甲板の損傷に対する被害局限と応急処置に関しては、ほとんど研究、訓練が行われていなかったようです。
我々にできることは、ひとつだけです。
「最悪の場合を想定して準備をしておく」
最近は、計画がないだけでなく、保険の見直しもしない会社が多く見られます。せっかくの保険料を払っているにも関わらず、いざ事件・事故が起きたときに保険会社に電話したが、カバーされていなかった・・・。これでは泣くに泣けません。保険証券を専門家に見てもらい、アドバイスをもらう。簡単なことですが、ご自身と会社を守るために必ず必要なことです。まずは顧問税理士さんに相談されてはいかがでしょうか。恒例になってきましたが、相談するのはもちろんあなたですよ。
参考文献:失敗の本質
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