今回の歴史に学ぶ経営手法は、世界3大美人の一人、クレオパトラです。絶世の美女として、世間では知られていますが、歴史的にも重要な意味をもつ人物です。
クレオパトラはエジプトの王、プトレマイオス12世の姫として生まれました。彼女が18歳の時に父王が死去し、クレオパトラと彼女の弟でエジプトを治めるよう遺言を残します。しかし弟王派の側近の介入もあり、後継者争いから、国が2つに割れていました。この時期「歴史に学ぶ経営」の第3回の主人公であったジュリアス・シーザーが内乱を収拾するために、このエジプトを訪れます。
ジュリアス・シーザーがエジプトを訪れたときは、クレオパトラは国を追われていましたが、シーザーに会うため王宮への贈り物である絨毯に身をくるませ忍び込んだといわれています。
シーザーはこの内乱を「父王の遺言に従い、共同統治せよ」という裁きで収めます。しかし、この和解は1ヶ月しか続きません。弟王がこの裁きに不満を持ち、シーザーの軍を攻撃したからです。闘えば勝つといわれたシーザーです。少ない手勢にも関わらず、これを制圧します。これでクレオパトラがエジプトの王位(ファラオ)に就くことになりました。
クレオパトラはただの美人ではありません。エジプト、プトレマイオス朝最後の王、つまり国のトップなのです。同じ3大美人として、宮仕えの歌人であった小野小町と同様に語られるのは、少しこっけいに思えますね。
さて、シーザーですがローマ国内(エジプト含む)の内乱を収めて程なく、「ブルータス、お前もか」という言葉を残して暗殺されてしまいます。シーザーの遺言状が開かれたとき、そこに後継者に指名されていたのはオクタヴィアヌスというシーザーの遠い親戚の青年でした(彼はその後、ローマ帝国の初代皇帝となります)。シーザーの寵愛を受けていたクレオパトラはシーザーに連れられ、たびたびローマを訪れていたました。しかし遺言には彼女については一言も触れられていませんでした。クレオパトラの中に、嫉妬という感情が生まれたのはこのときでしょう。
クレオパトラは、死んだシーザーに復讐でもするかのように、オクタヴィアヌスのライバルである武将アントニウスとは正式に結婚し、対オクタヴィアヌスへの姿勢を明らかにします。これが、自身の破滅の決定的な一歩となっていきます。
クレオパトラは、ギリシア語・ラテン語はもちろんのこと、メディア語・エチオピア語・シリア語・パルティア語・アラビア語・ヘブライ語と多くの国の言葉を解したといわれています。また、その立ち居振る舞いや権力者との対し方を見ても、なかなかの頭脳の持ち主であったようです。しかし、なぜそのような行動に出てしまったのか?
当時の地中海世界の中で、彼女ほど多くの財産を所有していた女性はいなかったでしょう。当時のエジプトの首都であったアレクサンドリアの王宮、それよりも豪華な建物は当時の地中海世界には一つも存在しませんでした。また、アレクサンドリアほど港湾設備の整った港は、どこにもなく、それを見たシーザーが、ローマの港湾工事のために、エジプトから技師を呼び寄せたほどです。
さらに、エジプト王家の首都であるアレクサンドリアは、そこに住むギリシア系エジプト人の経済能力のおかげで、東地中海では第一の繁栄を誇っていました。アレクサンドリアの市場ほど多くの品々にあふれた市場は、他になかったのです。
しかし、これらの事象だけではイコール国力にはならないことを、クレオパトラは理解しませんでした。国力とは、表面にあらわれた事象とはちがうところにひそむものであるのを、つまり、必要になれば常に水をくみ上げることのできる地下水系のようなものであるのを、彼女は理解しませんでした。
エジプトの富とアントニウスの武将としての能力で、生前シーザーが描いたグランド・デザインに沿って進軍中のオクタヴィアヌス率いるローマに、勝てると思い込んでしまった。見誤ってしまったのです。
ローマ軍は伝統的に、ローマ軍団という優秀な主戦力を持ちながらも、遠征地周辺の諸侯や諸部族を見方に引き入れつつ闘うやり方をとってきました。シーザーでさえも、同盟部族との共闘体制樹立に心がけることを忘れていません。それなのにクレオパトラとアントニウスは、実際の軍事行動を始める前に成さなければならない、この種の政治外交さえ怠りました。
ローマ軍とエジプト軍の明暗を決定的に分けたのがアクティウムの海戦です。アクティウムの海戦では、クレオパトラ自らが前線に赴き、アントニウスと共に総司令官として軍を指揮しました。
海戦を直前に控え、大隊長が集まる作戦会議の場でクレオパトラは「この海戦に敗けた場合、エジプトまで退却し、陸上戦を挑む」と口にします。
総司令官というのは、この一戦にすべてを賭ける意志を明らかにすることによって、将兵達を戦いの場に率いることができるものです。たとえ敗北に終わった場合の対策は考えたとしても、そのようなことは自らの胸一つに収めておくべきことで、事前の作戦会議で議論するたぐいのものではありません。もちろん一級の司令官ならば必ず退路を考えて戦場に出ます。しかし、そのようなことはおくびにも見せないものです。
これがアクティウムの海戦の場合は、作戦会議だけではなく船の帆の処置にも表われます。風の方向がしばしば変わる地中海では、戦闘時には櫂のみをつかい、帆を張ることはありません。帆は無用の長物になるのです。帆をつける柱自体を、港に預けてしまう司令官もいました。もちろん背水の陣で臨む決意を、戦闘員にとどまらず、櫂の漕ぎ手に至るまで徹底するのが目的です。
アクティウムの海戦でクレオパトラとアントニウスは敗北します。敗北後エジプトに逃走したクレオパトラは、なんとしても戦闘員を増員しようとします。行ったことは、金をばら撒いて傭兵を雇うことでした。傭兵への報酬を2倍にした結果、集まったのは金目当ての無法者ばかり。チームワークや組織という言葉とは程遠い集団が出来てしまったのです。
クレオパトラの最後は、贈答品のイチジクに毒蛇を忍ばせて持ち込み、自分の胸を噛ませて自殺したといわれています。物語としては涙を誘わないではいられないエピソードですが、我々はそこから学まねばなりません。
クレオパトラは自国と相手国の“力量”を正確に読み取る必要がありました。それは都市にあふれる豊富な品々や金品ではなく、軍の組織力であり、外交力であり、いざとなったときのトップ(つまりはクレオパトラ自身)の判断力だったのです。
クレオパトラの判断は、経営者に例えるならば、“損益計算書(P/L)で、どれだけ儲かったか?”だけを見ているようなものです。
もちろん、損益計算書の利益を見ることは大事なことですが、クレオパトラの時代から2000年が経過した今日、会社の損益に表れないものの重要度は増すばかりです。
例えば、貸借対照表(B/S)項目、知的資本、ブランド、研究開発力といったもの。これらは、会社の今後の業績にとっても、会社のイメージや評判にとっても、非常に大事になっています。表立った事象に表れない無形資産を賢く運用する企業は、そうでない企業に比べてはるかに優位に立てるでしょう。
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