田辺聖子氏の心に響く言葉より・・・
私は、神サマの意思で、中年に入りかかった開業医、夫(おっちゃん)と結婚した。
おっちゃんの家には、四人の子供がいて、おばあちゃん、おじいちゃん、おっちゃんの弟妹、看護婦さんも居た。
私は子供の時以来、再び大人数の家に入ることになった。
あんなややこしい家に入って、とんでもないと、周囲の人は思ったようだが、でも私は「おもろいやん」、「これでまた小説が書ける」と、そう思った。
やがて、おっちゃんが「退場」したが、これはまあ、トシに不足はなし、しかるべき命終(みょうじゅう)というものであろう。
おっちゃんはニカニカと満足そうであった。
ひととおりの仏事を終えた時、子供らが、
「聖子おばちゃん、ありがとう。お父ちゃんも喜んで往きました」という。
本当は、これに泣けたのだが、ここは泣いたらイカンと、
「一人前のクチきくやないか」
と私。そしたら子供たち、
「三日かかって覚えました」
だって。それで大笑い。
そんなふうに「ああ、面白かった」って、笑えることがいちばん。
世の中は、どんなことが起こるかわからない。
それでも、「世の中って面白い」と思い生きるのと、「世の中って苦しい」と思い生きるのでは、歳月(としつき)のたちかたはぜんぜん違うのではないだろうか。
何が起こるかわからないから、「先を楽しみに生きる」。
上機嫌っていうのは、自分で自分をつくることなんだ、結局は・・・。
・・・人生、いつも上機嫌であらまほしい。
私には、夫婦も家族も、会社に集まる人たちも、ほんのわずかな縁を神サマが繋ぎ合わせて、めぐり合えた人たちなのだと思われてならない。
だから、あなたのやさしみを、まずはあなたの近しい人に。
笑いの種を、上機嫌の種をふりまいて・・・。
『上機嫌の才能』海竜社
次々に起こる出来事を、「面白い」と思って生きるか、「つまらない」、「苦しい」と思って生きるかで人生のありようはまったく違ってくる。
どんなことにも面白がって生きることができる人は、いつも上機嫌でいられる。
つまらない、苦しいと思えば、不機嫌になる。
つまり、機嫌がいいか悪いかは自分で決められる。
世の誰もが「つまらない」、「苦しい」と思うようなことを、「面白がる」ことができたら、生きる達人だ。
上機嫌な人はまわりを幸せにする。
私は、神サマの意思で、中年に入りかかった開業医、夫(おっちゃん)と結婚した。
おっちゃんの家には、四人の子供がいて、おばあちゃん、おじいちゃん、おっちゃんの弟妹、看護婦さんも居た。
私は子供の時以来、再び大人数の家に入ることになった。
あんなややこしい家に入って、とんでもないと、周囲の人は思ったようだが、でも私は「おもろいやん」、「これでまた小説が書ける」と、そう思った。
やがて、おっちゃんが「退場」したが、これはまあ、トシに不足はなし、しかるべき命終(みょうじゅう)というものであろう。
おっちゃんはニカニカと満足そうであった。
ひととおりの仏事を終えた時、子供らが、
「聖子おばちゃん、ありがとう。お父ちゃんも喜んで往きました」という。
本当は、これに泣けたのだが、ここは泣いたらイカンと、
「一人前のクチきくやないか」
と私。そしたら子供たち、
「三日かかって覚えました」
だって。それで大笑い。
そんなふうに「ああ、面白かった」って、笑えることがいちばん。
世の中は、どんなことが起こるかわからない。
それでも、「世の中って面白い」と思い生きるのと、「世の中って苦しい」と思い生きるのでは、歳月(としつき)のたちかたはぜんぜん違うのではないだろうか。
何が起こるかわからないから、「先を楽しみに生きる」。
上機嫌っていうのは、自分で自分をつくることなんだ、結局は・・・。
・・・人生、いつも上機嫌であらまほしい。
私には、夫婦も家族も、会社に集まる人たちも、ほんのわずかな縁を神サマが繋ぎ合わせて、めぐり合えた人たちなのだと思われてならない。
だから、あなたのやさしみを、まずはあなたの近しい人に。
笑いの種を、上機嫌の種をふりまいて・・・。
『上機嫌の才能』海竜社
次々に起こる出来事を、「面白い」と思って生きるか、「つまらない」、「苦しい」と思って生きるかで人生のありようはまったく違ってくる。
どんなことにも面白がって生きることができる人は、いつも上機嫌でいられる。
つまらない、苦しいと思えば、不機嫌になる。
つまり、機嫌がいいか悪いかは自分で決められる。
世の誰もが「つまらない」、「苦しい」と思うようなことを、「面白がる」ことができたら、生きる達人だ。
上機嫌な人はまわりを幸せにする。
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