今回で歴史に学ぶ経営も最終回となりました。最終回の歴史に学ぶ経営は第11回のミッドウェー海戦の続きです。ミッドウェー海戦は太平洋戦争の一幕ですが、さらにその40年前におこった日露戦争から近代日本という切り口で見ていこうと思います。最終回に相応しく、総まとめの意味もこめて、超長期的視点をご覧いただきたいと思います。
海軍がミッドウェー海戦で破れ、ターニングポイントを迎えたのは前回お話しした通りですが、陸軍もガダルカナル戦をきっかけに、敗戦への道を歩み始めます。ガダルカナルでの戦闘の内容を一言で言うならば、「情報の貧困による戦力の逐次投入と、火砲、食料を中心とする兵站(補給)の欠如」でしょう。夜襲による突撃作戦のみが繰り返えされ、米軍の充分な火力の前に屈することとなります。
ガダルカナル作戦時の帝国陸軍が個々の作戦で拠りどころとしていた戦略の原型は、「陸軍戦闘において戦勝をするカギは、白兵戦における最後の銃剣突撃にある」、という「ものの見方」でした。いわゆる白兵戦思想です。
帝国陸軍は、西南戦争や日清戦争を通じて、火力の優越が戦闘のカギとなる要因であることを知っていました。第一線では、日本軍火砲の射程や威力不足について不満が多くあがっていました。しかし、いずれも戦争が終わると忘れ去られ、日本の軽砲主義は太平洋戦争まで続くことになります。近代戦の要素を持っていた日露戦争を経験しても、西南戦争に従軍した指導者は、過去の薩摩軍の突撃力がきわめてすぐれていたことと、露軍が歩兵の近接格闘を重視し実際白兵戦闘が強かったこと、二〇三高地の最後の勝利は、肉弾攻撃であったこと、などに思いをはせて、結局は銃剣突撃主義に傾倒していきました。
一方、その技術体系からはるかに近代的合理性を身に着けていた帝国海軍も、陸上の白兵銃剣主義が戦闘の雌雄を決するというのと同じような、艦隊決戦という戦略原型を定着させていきます。
艦隊決戦主義もまた、その原点となったのは、日露戦争でした。日露戦争での日本海海戦は、世界海戦史上いまだかつてない大勝利でした。東郷長官の敵前におけるUターンと、上村長官の相手の退路を断った西方向転換よって、露軍バルチック艦隊は、日本艦隊東西両方面からの砲撃を浴びることとなりました。当時世界最強と謳われたバルチック艦隊は戦艦、巡洋艦、海防艦あわせて20隻中、13隻が撃沈もしくは自沈、残る7隻が捕獲、武装解除、降伏となり、日本連合艦隊の損害は水雷艇3隻を失ったのみという完全勝利でした。
この海戦の勝利は、当然のことながら日本海軍の戦略原型に大きな影響を及ぼさずにはおかず、海軍作戦の真髄は艦隊決戦にあり、艦隊決戦に勝利を得れば、戦争そのものの帰趨(きすう)にも決定的な影響が与えられるという、艦隊決戦主義が誕生したのでした。
この白兵銃剣主義、艦隊決戦主義を脱却できなかったという点と、航空戦力を重視した戦略をとることができなかったという点で、「日本軍は日露戦争の教訓で太平洋戦争を戦った」とも指摘されています。
組織においてはどうだったのでしょうか。日本軍は米国のように、陸海空の機能を一元的に管理する最高軍事組織としての統合参謀本部を持っていませんでした。大本営といっても、陸海軍の作戦を統合的に検討できるような仕組みにはなっておらず、むしろそれぞれの利益追求を行う協議の場にすぎませんでした。
組織成員の間で基本的な価値が共有され信頼関係が確立されている場合には、見解の差異やコンフリクト(対立関係・衝突)があってもそれらを肯定的に受容し、学習や自己否定を通してより高いレベルでの統合が可能になります。ところが、日本軍は陸・海軍の対立に典型的に見られたように統合的価値の共有に失敗しました。
ヒト、そして技術が重要とされるのは、それらがいずれも戦略発想のカギになっているからです。米軍は重要な戦略発想の革新を、ダイナミックな指揮官・参謀の人事によって実行した。また、F4F、F6F、F8Fなどの戦闘機やB17、B29にいたる長距離爆撃機が、次々と連続的に開発されました。これらの一連の技術革新が米軍の大艦巨砲主義から航空主兵への転換を可能にする基盤となったのです。
これに対して日本軍は、人事制度、業績評価システム、教育訓練システムを含む管理システムも日露戦争時とほぼ変わっておらず、能力主義の思い切った抜擢人事はなされませんでした。これではヒトを戦略発想の転換として位置づけることを怠ったといわざるをえません。
結果として、航空主兵の思想が海軍内部で正式に取り上げられるチャンスを逸してしまうこととなったのです。組織の行動と成果との間にギャップがあった場合には、既存の知識を疑い、新たな知識を獲得する側面があることを忘れてはいけません。その場合の基本は組織として既存の知識を捨てる、つまり自己否定的学習ができるかどうかということです。
組織が継続的に環境に適応していくためには、組織は主体的にその戦略・組織を革新していかなければなりません。これが「新たな認識枠組み」、つまり「概念」の創造です。自ら依って立つ概念が希薄では、いま行っていることが何なのかということの意味が分からないままに、パターン化された模範解答の繰り返しに終始することになります。
既成の秩序を自ら解体したり、既存の枠組みを組み替えたりして、新たな概念を創造する。これにより、戦略策定を誤った場合でもその誤りを的確に認識し、責任の所在を明確にし、フィードバックと反省による知の積み上げが可能になります。このようにして企業という自己革新組織は強くなっていくのです。
いかがでしょうか。今回の内容で経営の全体像と進めるべき経営のフィードバックが見ていただけたのではないでしょうか。経営の舵取りとは、かくもダイナミックなものです。誰が経営の舵取りを行うのか?もちろん最後まで読んでいただいたあなたなのです!全12回のお付き合い、誠にありがとうございました。
参考文献:失敗の本質
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